令和元年6月8日(土)京都でのセミナーでした。
会場のアスニー京都は、RX組が京都で初めて事務所を開いた場所の目と鼻の先。
なじみ深い場所です。
京都に出て15年。そしてその京都を離れて一年と2か月。
まだまだ気持ちは京都に残ったままの一年でしたから、
京都でセミナーをするのはまだ辛いのが正直なところです。
そして集まってくださったのは、昔からのなじみ深い皆さんばかりでした。
まさにホームに帰ってきたような温かさで、京都で15年間培ってきた絆、
そして通って来てくださってた皆さんの大いなる成長を改めて感じ、
ありがたさで胸がいっぱいでした。
おひとりおひとり、それぞれにいろんなことがあった月日でしたね。
でもここまでいっしょに歩んでこれたこと、迷ったり回り道したけど
苦しんだ分、優しく大きくなれたのではないでしょうか。
そして、もう一つは悲しい出来事。
紫野庵を去ってこの一年の間に、紫野庵のお隣でたいへんお世話になった
おじいさんがこの春とうとうお亡くなりになったのです。
紫野に越して10年、京都に暮らすということをしっかり教えていただきました。
紫野は西陣織の職人さんが多く住まれた場所、西陣織が衰退したことで
機屋さんはずいぶん減りましたが、紫野庵も元々は機織り機がずらっと
並ぶ織屋さんだっということで、お隣のおじいさんも帯のデザインと
製作をされていた職人さんだったということです。
セミナーの前日お宅にお邪魔して、仏前に手を合わさせていただきました。
京都の暮らしを教えていただいたお礼、最後までお付き合いできなかったお詫び、
じわじわと思いがこみ上げ、おじいさんの在りし日の姿が脳裏によみがえりました。
最後まで介護されていた娘さんの許可をいただき、家の中の写真を
ご紹介させていただきます。
梅雨の気配がし始めてしっとりと濡れた坪庭に、思わず見とれてしまいました。
現役で使っておられた黒電話。
井戸をくみ上げる滑車。
水屋。
築90年余りだったと記憶しておりますが、
生まれたときからこの家です、とおっしゃっておられたので
建ったときからほぼずっと変わらぬ暮らしをされてきたのだろうと思います。
二人の娘さんがお嫁に行かれ、奥様を亡くされ、一人でもきちんと
暮らされていた京都人の頑固なまでの暮らし方に感動してしまいます。
変えない。守り続ける。あたりまえの暮らしを淡々と続ける。
遺品というか、形見というか、分けていただいた書は
山田恵諦(やまだえたい)という比叡山延暦寺の座主のお言葉「楽志」。
おじいさんの母上が比叡山に信心しておられ、折につけ通われ
直接、目の前で山田恵諦座主が書かれたこの色紙を求められたとのことで、
引き寄せられるようにこの色紙に目が行って、詳しくお聞きしてまた感動。
『日々の行が楽しいならば、その志は本物だという意味』だそうで
『楽』は楽しいという意味はもちろんですが、願う、望むという
意味もあるらしく、人を楽しませ、喜ばせることが楽であり、
もっともっと向上したいと願い望むことであり、
そう楽しめることがなにより本物の高い志であると。
私たちが突き詰める「楽ワザ介護」もまさしく同じ。
楽しまなければ身につかないし、長続きもしない。
『楽』というと近頃は、楽したいとか、楽してさぼりたいとかマイナスに
受け取られがちですが、本来はもっと高い志のプラスの意味だったのです。
亡くなってなお、おじいさんから教えられ、もっともっと上を望みなさいと
はっぱをかけていただいたように思います。
だから京都は止められない、離れられない。
深い魅力に改めて虜になってしまいました。
観光地としてではなく生き方を学べる場所、京都。
これからも古くて美しい日本の心、持ち続けるべき日本人の感性を
大切に大切に守っていきたいと思います。
そしてさらに楽しんで、笑って、志を高く持って進んでいきましょうね!
長々とお付き合いありがとうございました。